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気まぐれ Art note

洲之内徹が連載した「気まぐれ美術館」に憧れてます。

復原を見て日本文化を知る

東京にいる間に見ておきたいもの ② 江戸東京たてもの園

tatemonoen.jp

 

民俗資料室で働いていると、道具ばかり単体でみることになるので、その道具が使われていた空間、つまり建物や生活環境などが知りたいと思いました。道具はどんな風に置かれ、どのように使われていたんだろうかと。それを知らないと、道具が理解できないと思いました。南部鉄器の急須かっこいいデザインだよね〜というノリでは、本来その道具が持つ力や役目、どうしてそのように作られたのかがわからないままだと思いました。そこで江戸東京たてもの園に行ってきました。

以下、チェックしたところの写真ばかり投稿します。

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実際にいろりの火で沸かしたお湯で、お茶をいただきました。

 

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かまどの神様ってここにいるんだろうな。。!?

 

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農家はここまで。

続いて前川國男邸や小出邸など建築家が手がけた建物です。

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日本は家具が少ない文化で、、建物と家具は一体化し、徐々にインサイドして造られていくと聞いたお話(小泉和子講演会より)を思い出しながら部屋を見ました。あーなるほど。。。と。とくに和箪笥は現代のプレハブ工法では重いしデカイし、不便だわ〜と捨てられるかもしれないけれど、このような建築であれば和箪笥のほうが便利かもしれません。道具と建物と環境はセットなんですね。

 

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風通しが良くてクーラーが要りません。

 

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仕立て屋 こんな風に着物を置いてたのか。

 

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銭湯の屋根

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頭に叩き込んでおかないと……。

 

 

 

 

池上本門寺近くにある「古民家カフェ蓮月」

東京にいる間にやっておきたいこと

(長く暮らした東京を数日で離れるので、その前にいろいろ)

 

池上本門寺近くにある「古民家カフェ蓮月」に行く✨ 

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この建物は昭和2(1927)年に建てられた元お蕎麦屋さんだったが、長く地域に親しまれた蕎麦屋さんが高齢になり閉店してしまった。その後取り壊しになる予定が立てられたが、地域の人が東京にこのような建物が残っていることが貴重だと考えた。そこで地域の歴史として保存したいと話し合い、大田区に依頼したがムリだった。なんとかこの場を活用してくれる人がいないかと草の根活動をしたところ、金沢出身の男性が手を挙げてくれて、2015年の秋から1階はカフェと2階はレンタルスペースとしてオープンした。……というお話を聞いて行ってきました。

 

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ここの古民家はうまくリノベーションされていて、2階に和家具の特徴(違い棚=アシンメントリー)を見ることができるから、ぜひ訪れてお茶してくださいと、、、、

(6月11日 昭和のくらし博物館館長・小泉和子講演会「和家具の面白さ」より。)

聞いたので、、

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食事もお酒も美味しかったですよ。私は夜行ったけど、昼間ならカフェしたいですね。

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*写真はオーナーの許可をいただいて撮影しています。古民家はまだまだ修復が必要だけど、地域の財産として、地域の人と一緒に障子を張り替えたり、土壁を塗ったりして、みんなで助け合って維持していくそうです。

 

大田区池上の古民家カフェ 蓮月

行ってみてくださいね〜!

 

 

 関連記事:

karryart.hatenablog.com

和家具の面白さー小泉和子講演会に行って来ました。

東京都大田区にある「昭和のくらし博物館」は、「昭和26年建築の木造2階建ての庶民住宅(登録文化財小泉家住宅)を丸ごと公開している博物館」です。

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博物館の縦折リーフレットによると、

平成8年までの45年間は小泉さん一家が暮らしており、その後壊すことも考えたが、この時期に建てられた住宅が現在ほとんど残っていないことなどから、戦後の庶民のくらしを伝える資料になるのではないかと考えて、博物館として保存することに決まったとあります。館長・小泉和子さんがリーフレットに書いている言葉が大切だと思ったので、一部紹介します。

「考えてみれば私たちが生きた昭和という時代は、昭和恐慌によって幕を開け、日中戦争、太平洋戦争と、あいつぐ戦争から、戦後はまた、生産体制から社会、文化、生活のすべてにおいて大変動が起こった激動の時代でした。そしてこうした時代の激流にもっともおおきな影響を受けたのがくらしです。くらしは人間が生きてゆく上の基礎となるものですが、くらしというものを重視する基盤の弱い日本では、まず最初に犠牲にされるのがくらし、それも庶民のくらしです。このため、単に住宅と家財を保存しておくだけではなく、ここを学習の場として、くらしの面から昭和という時代をもう一度考え直してみたい、そして出来得るならば、くらしの哲学といったものを打ち立てたいと思い、昭和のくらし博物館』としました。どうかみなさまもご一緒に昭和という時代をもういちど考え直してみてください。」

 

さて、6月11日(土)に昭和のくらし博物館館長・小泉和子さんの講演会があるという情報をgetしましたので、行って来ました。 

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講演会は、「和家具がなくなって、いまは洋家具になってしまった。和家具は面白くて、美しかったのに。私たちは自分の文化をどんどん捨ててしまって、本当にもったいないと思っています。」という言葉から始まりました。この言葉があと3回くらい出てくるので、大変重要なんだと思います。「どっかに棚が捨ててあったら、絶対拾ってきなさい」「みんなは時間が経つと古くなって汚らしく感じて、壊して捨ててしまう」と言われたので、私もどっかに捨ててあったら絶対回収すべしと思いました。

 

棚は日本の造形芸術であり、

和家具の大きな特徴はアシンメトリーであること。アシンメトリーはすべての日本の造形に通じる基準である。それは自然の造形がアシンメトリーであり、日本の家具は自然の造形に習ってつくられている。家具に、自然に対する尊敬や崇拝が表れている。対して左右対称というのは人工的で、自然より人間がえらい。中国は自然環境が厳しいから、自然を征服しなければ生きていけないという考えがあり、したがって造形も左右対称で人工的になる。

というお話でした。和家具の歴史をスライド上映で見せていただきました。

中国から入ってきた正倉院の棚「赤漆文欟木御厨子」、法隆寺の竹厨子(竹を細かく並べてつくった)などから、平安時代になると中国から入ってきた厨子の形が変化して、日本独特の厨子になる。二階厨子、二階棚。そして中世になってまた変化し、『法然上人絵伝』を見ると、違い棚(アシンメトリー)の厨子棚(黒漆塗)が出てくる。

 

天下の三大棚

桂離宮の桂棚

三宝院の醍醐棚

・(もひとつなんだっけ……~~;;汗)

 

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 館内では先日「かんたん野草茶」の講座を開いたということで、そのときの野草が干されていました。

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竹細工、こうして使われているとなんと美しい風景でしょうか。道具は使うものです。 

 

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 ミュージアムショップにあった布ぞうり。84歳のおじいちゃんが編んでいるそうです。オサレ。

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 佐渡の藁草履もありましたよ。

 

学習の場として使用するという講座プログラムがすばらしかったので、(主に参考にしようとしている自分のために)ここに書いておきます。

★講座

・生活史講座……江戸の生活史、女性の歴史、古文書読解など、専門の講師による幅広い分野での連続講座。

・土曜夜間講座……「火鉢を囲んで建築の歴史」など、専門の講師による建築や美術、考古学に関する連続講座。

・家事の伝習講座……漬物や薬草茶などの食べ物づくり、浴衣、袋物などの簡単な和裁や編み物、ハタキづくりや障子貼りといった掃除関係など、おばあちゃんがやっていた昔ながらの家事を実践する講座。

・土曜お茶の間会……主に月末の土曜日に開催するお茶の間サロン。楽器や蓄音機でのレコード演奏会、着物の着付けや茶道などの体験、木や和紙を使ったものづくりのワークショップ、”昭和”をキーワードとしたトークなど、多彩な内容で開催。

★体験学習

洗濯板やすり鉢体験など、小学生を対象とした見学プログラム。すり鉢を使った体験は随時受付(有料)。

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HP:

http://www.showanokurashi.com

 

それから小泉和子先生はたくさん本を出しています。多くを見、多くを読み、よく考える。あたしはまだまだ勉強しますよ。

 

それでは、ご興味のある人は行ってみてください。 

 

 

 

倉庫の中で……

毎月数日、民俗資料室の倉庫の中で働いています。一緒に働く仲間から教わることが多いので、教わったことを記しておこうと思います。

今の仕事は、各地域から収集した竹細工の整理。過去のラベルを外し、新しい資料番号のタグをつけ、埃を払って、撮影のための準備をしています。作業をしながら、竹という素材で作られた道具が様々で、それがアジア一帯にあり、用途によって使い分けられていたことがわかり、驚きます。

 

今回、1番最初にご紹介したいのはこれ!

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ツァイフ(弁当入れ)
野良におかずを入れて運ぶ
110×胴 240×底 245×h265

アジア各国を歩いている映像学科卒のMくんの解説によると、貴州省というところは山岳地帯で、少数民族が住んでいます。貨幣経済の基準で見ると貧しい地域ということになりますが、このような弁当箱をつくってしまうなんて、豊かではないですか。「かっこいい、この弁当箱かっこいい」……というお話を聞いて、貴州省を調べてみると、現在は徐々に経済成長して古い町並みや伝統、このような竹細工の弁当箱も姿を消しつつあるようです。たしかに素敵な弁当箱ですよね。

貴州省の古い町並み

 

 

続いてこちら

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筌  川魚用
185×L290
台湾  蘭嶼

台湾の蘭嶼(らんしょ)という地域に伝わるトビウオ漁に使われた道具で、もう現地に行っても近代化してこのような道具はない!とまたまたMくんが教えてくれました。現地が近代化して捨てていくものが、ここにある。保存してあることで、私たちは少し前の暮らしを知ることができます。

蘭嶼 - Wikipedia

 

さて、アジアの竹細工を解説してくれた映像学科卒のMくんですが、いまはドキュメンタリー映画の撮影にアジア各国を飛び回る日々のようです。どのようなことを追っているのかと聞いてみると……。

インドネシアにずっと通っていて、インドネシアのまぐろ漁を撮影している。毎年行って記録し続けていると、町と生活がものすごいスピードで変化していると感じる。たとえば、車。少し前まではのどかな農村で、それこそ牛が歩いているようなところだったのに、車が入ってきた途端、道路を舗装し始めた。舗装したら次々と車が入ってくるようになり、こんどは狭いと言って道路拡張をし始めた。また、浜と民家は地続きのような生活で、海と共に生きていたが、そこに防波堤ができた。防波堤が建ったことで、海と共にある生活は1枚壁ができたような生活に変化した。自然の素材を使って、当たり前に編んでつくっていた道具はプラスチックに変わり、大量に捨てられている。これはかつての日本の昭和、高度経済成長期はきっとこんな様子だったのだろうと思って記録している。とのこと。

もうひとつ

山梨県甲府に伝わる伝統的な盆踊りがあり、それは他の地域とは異なる盆踊りだったが、今は行われていない。村のお婆ちゃんが、訪ねてきた若者5人に昔の盆踊りを話したところ、若者5人はお婆ちゃんの話に心動かされた。そこでお婆ちゃんの話をもとにかつての盆踊り復活をしてみようと動き出す。

というドキュメンタリーだそうです。

 

貴重映像!

「完成はまだまだずーっと先」と言っていましたが、

ぜひとも完成させて、上映していただきたいと願っています。

 

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そして作業は続く……

 

 

未完成の意味

 昭和47(1972)年に開館した佐渡國小木民俗博物館は、設立から44年になります。現在のパンフレットと設立当初のパンフレットでは、書いてある内容がずいぶん違うようです。私が設立当初のパンフレットの内容を知ったのは、当時の社会教育主事・中堀均さんの原稿を国立国会図書館で見つけて、読んだ時、その原稿に紹介されていたのです。中堀さんの原稿によると、次のようなことが書いてありました。

 

 「民具を寄附していただくとき『昔はこんなもんでやっよんだっちゃ』と個々の品物を説明してくれるおじいちゃんの顔は実に生き生きしている。汗を流しただけではない。知恵も使った。自分に何ができるかも考えた。共同でも話し合いを考えた。そして身近なものを工夫して利用した。気休めは求めなかった。すべてではないが、この中にはそのような道具がいくつかある。これらのものを、今後どのように生かすかは、皆様方の知恵をお借りしなければならない。形は残ったが、心は残らぬでは、物の羅列にしかならぬ。

 消えたに等しい『あわれ』や『つつましやか』の伝統の中身となる自然や心をこの中からリクリエートしていく努力はするが、大きな時間が必要だと思う。

 ー人々に工夫する知恵と

    汗を流す楽しみを、

       そして憩いをー

 この民俗博物館だけでなく、日常接するおじいちゃんやおばあさんから学ぶことが出来れば、幸せに思います。一人でも多くの、あらゆる職種(百姓、漁師、大工等)の方方の力で、自分達の生きてゆく地域を考える場として、永遠に未完成のまま続くであろうこの博物館を、よりよきものに育ててゆきたいと思います。」

 

 

 深いことが書いてあるなぁ。と思うと同時に、文中に出てくる「未完成」という言葉が、どうにも気になりました。未完成ってどういう意味なんだろうか、と。

 「未完成のまま続く」ですぐ思いつくものといえば。。。。

 ガウディのサグラダファミリア


映画『創造と神秘のサグラダ・ファミリア』予告編

 

「生誕の門をつくっておけば、次の世代が完成させるだろうと彼は言っていた」

 

それから、未完成といえば……

数点しか絵を完成させなかったレオナルド・ダ・ヴィンチ

結局レオナルド先生の本もつくらずに終わっちったなー。。。

 

いずれにしても、 

未完成の意味を、私はまだ考え続けています。

 

 

 

船大工が作った和船模型の展示を観に行く

神奈川大学の中に常民文化研究所があり、横浜キャンパス3号館に和船の展示があると聞いて行って来ました。焼津にいた船大工・近藤友一郎さんのコレクションで、和船の造船技術がわかりやすく、小さな個室ですが基本的なことを知ることができました。

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最初は、展示の構成を説明するパネルがあります ↑↑↑。
展示は調査研究が繰り返されることによって同じ資料であっても姿を変えますし、視点を持った切り口(企画)によっても変化します。ここでは、「パネルによる近藤友一郎氏とその業績に関する紹介」「船大工の道具を中心とした船作りのコーナー」「模型の展示」で構成されており、展示資料は1万点以上あるうちのおよそ400点を公開。船大工・近藤友一郎さんが作った船の模型14点から、全国各地の和船と和船の「型」を見て知ることができます。
 
さて、同じく船大工のコレクションを所蔵し、北前船の寄港地として栄えた宿根木(佐渡島)にある「佐渡國小木民俗博物館」で、私が見たくても見つけられなかったものがあったので、紹介します。
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見たかったもの、その①【板図】 
これが板図か〜✨✨と思いました。
 「板図は当時の船大工棟梁が、船主の要求を聞きながら描いたもので、板図を『形板』、図を『小形』と呼んでいる。図ができて船主と合意に達するとお祝いをし、船造りが始まる。」(白山丸友の会『時代に帆を揚げてー白山丸復原の足跡ー』)
 前回の更新で『時代に帆を揚げてー白山丸復原の足跡ー』という本を紹介しましたが、この本の中に「板図を再現する」場面も描かれており、大変興味深く復原の過程そのものがおもしろいです。23ページ ↓
 「博物館にある板図54枚のトレースをまず初めに行った。板図の縮尺はすべて10分の1で、0を1つ加えれば実物大の寸法となる極めて便利な寸法である。先を鋭く切った竹の墨刺で描くのであるが、この曲線、板図によっては消えているものもある。それでもうっすら板図に曲線のヘコミを見つけてはトレースする。まったく見えないものは霧吹きで板図を濡らすと、墨の曲線が浮いてくるものもあった。線の浮きが、さらに弱く、何も見えないものは流水に24時間漬け置くとクッキリ浮上する場合もあった。150〜200年前以前に描かれた曲線である。祈るような気持ちで墨の浮上を願ってトレースしてみたのである。」
 
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見たかったもの、その②【和釘】
これが和釘か〜✨✨
 聞いた話によると昭和45(1970)年頃までは、小木町を歩くとガッチンガッチンと鍛冶屋が鉄を叩く音が聞こえたといいます。いま歩いてもそんな影も形もみつけられませんよね。以下すべてTEM研究所編『平成5年度・地域木造住宅供給促進事業 伝統木造住宅展示事業 宿根木の町並と民家Ⅱ』(佐渡郡小木町)を読んだ知識によりますと、、、
 鍛冶屋は千石船に積む頑丈な船箪笥の金具や、家屋に使う和釘を作っていました。船大工の家は在来工法で和釘を使用しており、伝統的建造物保存地区の修復でも、小木町で製作した和釘が使用されています。「打ち込まれた釘は数ヶ月で錆びはじめ板と一体となり強度を増す」という力があるそうです。後は本読んでください。
 で、私は博物館の新館の隣にある炭焼き小屋を活用して「鍛冶屋復活計画」をし、みんなで和釘つくるぞ!と企画したんですけどね。。。(え、これ減点なの? 実物資料を見ていないことがバレている?㊙︎)
 やっぱり博物館から鍛冶屋の町を復活させましょうよ。
 
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発見したこと① 大板を曲げる技術
 そういえばどうやって木を曲げるんだろう。こうやって木は曲がるのか〜ということがわかります。これは白山丸復原過程を記した本には載っていなかった気がします。展示室の写真を見て感心。かっこいいなぁ、生で見たいわぁ、どこで作業している写真かしら…と思って地名をチェックしたら宿根木ではないですか。この頃わたし佐渡で何やっていたんでしょう!?  義務教育過程で学校と家のチャリンコ往復しかしていない時代ですね。
 
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 和船の技術って精巧にできていて細部まで見事ですよね。 展示の後半は、フォルムが美しいなぁ…とか、職人の仕事に対する美意識を感じて、すばらしかったです。
手仕事、良い仕事。
 
◼︎一般公開、無料。
 
 
 
関連記事:
 
 
 
 

佐渡國小木民俗博物館と千石船「白山丸」のつながり

前回、佐渡國小木民俗博物館の設立について書きましたので、

地域の力で設立した佐渡國小木民俗博物館 - 気まぐれ Art note

今回はその後、博物館の隣にできた「千石船展示館」について書きたいと思います。

 

【2-3】集落総出で復元した千石船「白山丸」

 佐渡國小木民俗博物館設立から26年後の平成10(1998)年、博物館の隣に実物大に復元した千石船「白山丸」が展示された。これは地域住民の、千石船を復元したいという願いで実現した。提案者は、4代前の先祖が宿根木と関西方面とを結ぶ、北前船の船頭をしていた石塚敏行。時代の変遷と共に絶えてしまった千石船復元の動機には、博物館の影響が大きいという。石塚によると、「古いものを大事にしなさいという宮本常一先生の教えが集落に残っている。このような民具はなんでこの集落にあるのかを考えて、先人たちの足跡を伝えていかなきゃならん。昔はここが佐渡の玄関だった。千石船は150余年前に村人が造った船で、船主がおって、千石船で栄えた土地だった。そうは言うても、今はなにもない。宿根木の歴史を佐渡の子供たちに知っておいてもらいたい」(註40)ということだった。

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復元された千石船「白山丸」

 

 石塚はまず集落の友人に相談し、賛同者を募った。それが平成3(1991)年のこと。動き出してはみたものの、すでに絶えてしまっている千石船の具体的な知識がなかった。それでは勉強会が必要だということで、講師に真島俊一(TEM研究所所長)を招いた。真島は昭和45(1970)年、武蔵野美術大学建築学科を卒業。かつて小木町白木と宿根木の民家測定と生活調査をして、その徹底した仕事ぶりに宮本常一を驚かせた学生である。卒業しても、宿根木の民家測定を続けるよう宮本から助言されていた真島は、その後も佐渡を度々訪れ、地域の人たちと一緒に博物館設立時の民具収集を手伝っていた。さらに、宮本から日本の漁船調査を依頼されたことがあり、日本海沿岸のみならず船の原型を探すためインド、インドネシアにまで行って調べた経験があった(註41)。建築学の知識を持つ上に船の歴史と構造にも詳しかったのである。そして数回の勉強会と会合を重ねた末、平成4(1992)年「千石船建造推進委員会」が発足される。真島は設計図を手がけ、完成までのプロセスの指揮をとる。(「佐渡島の博物館統廃合から考える文化財の継承ー存続か閉館かを分かつ限界集落の地域遺産と、宮本常一の人材育成としての民具研究ー」より)

 

 白山丸が完成するまでのプロセスは、白山丸友の会が発行した『時代に帆を揚げてー白山丸復原の足跡ー』を読むと詳しく書いてあります。この本のなかで13ページは、博物館活動を考える上で重要だと思います。とくに武蔵美学芸員課程を受講する学生などにおすすめですよ。博物館の設立時に、収集・保存・調査・研究という学芸員の基本的な仕事が行われていたから、この資料をもとに地域の文化財ができあがっていったという、すばらしい過程を知ることができます。出題:「美術館における収蔵品の意義を探求する」という課題レポートがありましたが、この答えに該当すると思います。

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↑ ↑ 博物館のミュージアムショップで販売しています。

 

 

◼︎ 13ページの内容を紹介します。

「資料の収集と保存は博物館があったから」

  宿根木は、弁財船の船主、船頭、水主(船員)など海運に従事した人たちだけでなく、船を造船、修理する船大工、鍛冶屋、桶屋、家大工などいた総合海運業の村となっていたため、資料も多彩だったはずだが、これらの資料は戦後、不用になって捨てられ始めていた。処分が進んだ最後のころ、緊急に集め大量に収集、保存できたのは宿根木小学校が廃校になり、この空き校舎を博物館にした林道明館長と中堀均さんがいたからであった。2人が集めた民具類の総量は5万とも7万と点ともいわれるが、未だに全体の整理はついていない。残念なことである。

 この資料や民具の中には昭和49年(1974)国の指定文化財になったものがあり、それが漁具漁船1304点であり、船大工道具957点であった。これら史料を使って白山丸が平成10年(1998)に復原できたのである。24年前に保存されたこれらの資料に大いに感謝しなくてはならない。
 実を言えば船大工道具の収集の始まりは琴浦、屋号清水の主屋の屋根裏に、びっしり船大工道具の工具箱が並んでいたことからである。
 これを発見したのは民具と民家の調査に入っていた武蔵野美術大学の学生たちである。林道明館長と中堀均さんにこの情報を伝えると、2人は同家からの寄託を受けることができた。同家の主人高津正明さんは元船大工で称光寺の檀家で、林さんや中堀さんのよき理解者であり、後に新潟民具学会に入り千石船の復原を初めて提案する人となる。
 次に造船の設計図である板図が集められ、さらに沢山の民具の収集と保存が進んでいった。集められた民具、資料の多彩さに驚いた民俗学者武蔵野美術大学の教授でもあった宮本常一先生の助力で、国指定になる。この間の活動を支えた当時の町長金子繁さんの力も大きなものだった。こうした活動や博物館の民具、活動を支えた諸賢に深くお礼申し上げなくては現在千石船はない。(TEM研究所・眞島俊一)
 
 
 これを読むと、言い出しっぺ石塚敏行さんより前に高津正明さんという元船大工がいて、やはり千石船を復原させたいと言っていたことがわかります。ということは、地域全体に自分たちの歴史と文化を再生させたいという気持ちが潜在していたということであり、それは博物館設立がきっかけとなり、大きくさせていく原動力にもなった、と考えていいと思いました。
 このように博物館と白山丸のつながりが深いにも関わらず、現在は博物館と千石船展示館が別々に見えてしまうのはなぜでしょう? 
 次回の更新は「展示」を考てみたいと思います。