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気まぐれ Art note

洲之内徹が連載した「気まぐれ美術館」に憧れてます。

Bookー『食べる西洋美術史』

 

昨日1冊校了し、雨の音を聴きながらなにもする気になれない今日。以前本屋で手に取り、プロローグを立ち読みして即買う事を決めた本を紹介します。

宮下規久朗著『食べる西洋美術史「最後の晩餐」から読む』(光文社新書

以下、プロローグ抜粋*******

 

 「大学に勤めていると、学期末には膨大な数のレポートや試験答案を読んで成績をつけなければならない。これがうんざりする面倒な作業であるのは、一度でも経験したことのある人にはわかってもらえるだろう。でも何十枚かにひとつくらい、はっとさせられるレポートや答案があって苦労が報われる瞬間がくることがある。
 以前、ある大学の試験答案を読んでいて、思わず感動したことがあった。

 問題のひとつに『講義のスライドで見た作品のうち、印象に残ったものについて感想を書け』というものを出した。授業にちゃんと出ていたかを見るのと、授業には出席していたのに他の問題ができない学生の救済用にいつもこういう問題を用意しているのである。
 その中のひとつの答案に『最後の晩餐』について書かれたものがあった。講義では中世初期から現代にいたる数多くの『最後の晩餐』を見せたのだが、もっとも有名なレオナルド・ダ・ヴィンチのものを挙げる学生が多い。

 

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 ところが、この学生は、レオナルドとも誰とも書かずに、『最後の晩餐』にまつわる自分の思いを書いていた。書かれていた内容を要約すると、この学生は中学二年のとき両親が離婚したというが、父が家を出て行く前日に皆で夕食をとったとき、父が『今日は最後の晩餐やで』と言ったという。少年には、家族そろって食べた最後の夕食の記憶とともにこの発言が妙に耳に残ることとなった。後になって彼は、自分のもとを去った父が、自分を愛していなかったのではないかと思って苦しんだ。しかし、どこかで『最後の晩餐』の絵を見たとき、幼少時代に父とキャッチボールをした思い出などがふとよみがえり、父はやはり自分のことを愛してくれていたのだと悟ってわだかまりが消えていったという。以来、彼は、好んで最後の晩餐の絵を見るようになったという。
 
 汚い字と拙い言葉だが真実味あふれる学生の答案を読んだとき、思わず涙ぐんでしまった私はこの答案に満点をつけた。図像や様式の分析もなく、作者や時代についてもふれられておらず、美術史的にはとても模範答案とはいえないが、美術の力を十二分に示すエピソードであることはまちがいない」。

 

 


この続きも感動的です。
宮下規久朗先生を知るきっかけは、武蔵野美術大学西洋美術史』の教科書でした。編集者になりたい、美術書がつくりたいと思ったとき、宮下先生に執筆依頼できるような編集者になりたいと思いました。ずっとそう思っていました。