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気まぐれ Art note

洲之内徹が連載した「気まぐれ美術館」に憧れてます。

BOOKー「博物館危機の時代」

▪️佐渡と大阪の共通点

5月7日、ちょうど辻秀人編『博物館危機の時代』(雄山閣)を読んでいた時に、私の故郷で博物館をめぐる不祥事がニュースになり、大阪府と似ているな……と思いました。この本では大阪府での博物館問題が記述されています。
 
「(1)博物館廃止へのシナリオ
最近たしかに館が閉鎖になりそうな危惧はどこにでもある。その象徴的な出来事と言えば、後でくわしく述べる2008年2月4日、橋下徹大阪府知事が2月6日の就任を前に、府幹部との協議から、83の府施設のうち図書館以外の廃止・売却検討を指示したことがあげられる。この指示の後の4月11日には、財政再建プログラム第一次試案の正式発表があった。弥生文化博物館(和泉市)は廃止。泉北考古資料館は市に移管を打診し、無理な場合は廃止。狭山池博物館は大阪狭山市との協同運営化を行なうというものであった。そして近つ飛鳥博物館(河南町)は他館の展示品などを集約することで多機能化し、総合歴史博物館をめざすといったもので、この集約の時点で近つ飛鳥博物館も独自性を失い、実態としては廃止同然であった」。
 
※この大阪府の博物館統廃合計画に対し、著者は下記のような見識をもって問題を指摘し、再生計画を提案しています。
 

 「若年層の入館実態で長期的な見通しをたてることもできるであろう。弥生文化博物館には地元小学生がたくさん訪れる。それは、たかが20年の蓄積かもしれない。しかし、ここだから集まれるという側面は強い。近つ飛鳥博物館もおなじである。双方の異なった館が一つになったからといって訪問者の数が合算されるわけでもない。むしろ、別々の場にあってこそ、それぞれの地域やテーマの上で多様なニーズの選択性が成り立つ。それゆえ、府立博物館が群をなす構造を形成することで揺るぎないものとなる。こどもたちには豊かな教育環境の場、それぞれの身のまわりの地域ブロック単位で、その居場所が必要なのである。

 むしろ、元気がない博物館、元気がない大阪も閉塞感を強めている。大阪の文化地域の底力、アイデンティティー確率のためにも物理的なものではない意識的な改革がいる。市民・府民・国民を活気づける素材は発信基地である博物館にすでに存在する。そのための発信基地をつくる努力はいらない。必要なのは人を動かし、いかにストックとハコを融合させるかなのである。ハコの中にある文化・知的財産により一層、目を向け、内部開発と加工をおこたるべきではない。そのための支援を大阪府は削り取ることはせず、育てる努力員力を注ぐべきである。
 博物館はバーチャルな図書館と並ぶ社会教育施設なのである。その上、博物館にはバーチャルでなく「本物と本質」があり、それに接して得られる「興味と気づき」がある。人の知る権利、知る喜びを得る権利に対し、潜在性と専門性を活かした情報を提供する。知恵をめぐらせることができる。そして、そこに居合わせた人々が語り合える「場」が存在する。地域コミュニティーがかかえもつ共有財産の蓄えをもつ博物館、そして大小の地域を含めたかたちと顔をもった博物館が必要であるはずである」。
(略)
「多くの博物館に共通するのではないかと思うが、”仏造って魂入れず”という喩えが使われるように、建設から開館までは予算を潤沢に投入しながら、開館後の運営管理については開館以前同様に継続的に予算を付けることはせずに、維持することが精一杯ということが多い。設置者側は、文化行政など博物館行政についてのビジョンを描いていない。これは現場の学芸員に共通する思いではないだろうか。設置者の文化施策への理解の欠如が招いた結果ともいえる」。
 
そして、大阪でも職員の不祥事が多発し、不祥事根絶キャンペーンまで展開していました。個人の問題ではなく、なにかが歪みきって露呈したのではないかと思うのです。
先々月、故郷の郷土博物館を順番に見て歩き、「おかしい」と思ったのです。荒廃寸前だな、佐渡の文化伝統はこんなはずではなかったと……。
 

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写真:新穂歴史民俗資料館 常設展示室
 
民具、祭り、それが残っていることが豊かなことーそう教えられて育ちました。
文化行政と博物館そして地域と文化財のあり方が建て直されることを願ってやみません。