気まぐれ Art note

洲之内徹が連載した「気まぐれ美術館」に憧れてます。

Booksー木下直之著にはまる

 

先月まで『芸術の生まれる場』(東信堂)という本を何度も読み返していて、

芸術の生まれる場 (未来を拓く人文・社会科学) | 木下 直之 | 本-通販 | Amazon.co.jp

その編者が木下直之氏なのですが、ちょうど同じ頃、木下直之著『美術という見世物』(講談社学術文庫)という本を、ある人から勧められました。木下氏のプロフィールを読んで、(おや、この人にはあったことがあるぞ)と思いました。そう、あれは武蔵野美術大学生涯学習論の授業でした。木下先生は武蔵美の先生ではないけれど、東京大学の文化資源学研究室からこの授業のゲスト講師として来ていました。

 
授業は、動物園に行ってワークショップを考えるという課題が与えられ、グループで動物園に行った体験を強く覚えています。
授業の冒頭は
「せっかく美大に入ったのに、なんで動物園に行かなきゃいけないの? と思っている人もいるだろうね」から始まったと記憶しています。
今、このときメモしたノートを見返しているところ。
《大学ノートより》
「動物園とは何か? こんなに美術館・博物館をつくった国はない。動物園を考えることが美術館・博物館を考えることにつながるのか? 動物園は何のためにあるのだろうか? 旭山動物園はこれまでの動物園を変えていこうという取り組みに成功した。動物園をどう変えていくのか、というのはデザインの問題。つまりアートの問題だ。美術館と動物園が絶対的に違うことは、”生きている”ということ。動物園は収蔵庫にしまってはおけない。しかし、研究を怠ってはただの見世物になってしまう」。
 
”研究を怠ってはただの見世物になってしまう”
 

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この本は美術という概念が、日本にいつからどのように根づいたのかを論じていて、つまり「美術館とは何か?」が書かれているわけです。私たちはお寺で仏像を信仰の対象として拝むけれど、なぜ美術館に仏像が持ち込まれた瞬間からそれは信仰の対象というより「美術作品」になり、日本代表彫刻作品として拝みもせずジロジロと見入っているのだろうか? それはいつからか? 美術学校ができて教育施設として美術館ができたときに、蚊帳の外に置かれた存在がある。それは幕末・明治の見世物小屋にあった細工師、油画師、彫刻師たちの手によるもので、美術館には陳列されない。なぜだろうか? 
 
おもしろい本ですが、私としてはもはや他人事ではないので、はち切れそうです。なにかが。
さらに巻末の解説にある、阪神淡路大震災に遭ったときの出来事を読んで、息をのみました。
 
「当書刊行の2年後に木下は神戸で大震災に遭遇した。そのときに木下は『壊れた台座』という一文を『芸術新潮』(1995.5月号)に寄せ、警察から美術館を遺体安置所に使わせてくれという要請があったことを報告している。『遺体が安置された展示室というものをまるで想定していなかった』
木下はこう書いている。
『もし私が要請の現場にいたら、ここは美術館ですからという理由で断ったかもしれないと考え、ぞっとした。美術館は王国だとの思いが骨の髄までしみ込んでいた。それは何もない清潔な四角い空間で、切り花のように生活から切り離されている。そして遺体安置所に使われる学校や体育館ほどに日本の社会に根を下ろしていない。美術館建設ブームとは、そんな箱を次々と作り出してきただけではなかったか』」。
 
この続きが詳しく知りたいと思うと、いてもたってもいられなくなって、古本屋から1955年5月号の『芸術新潮』を入手しました。

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次々と購入しました。

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さらっとではなく、今からじっくり読みます。
とても考えさせられると共に、簡単に答えがでませんし、頭が整理されないと論文が書けませんので、ちょっと気が狂いそうな今日ですが、
粛々と読み、淡々と考察し、整理して書く、
 
その繰り返し。
今の私にはそのくらいしか、、、ここに書けません。